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値上げを取引先に伝えるのは、社員10人の会社の社長にとって、たぶん一番気の重い仕事です。断られたら仕事がなくなるかもしれない。だから言い出せず、原材料も人件費も上がっているのに、何年も同じ価格で続けてしまう。この記事では、値上げを伝えるときの「順番」と「文書1枚の型」、それから私自身がやってしまった契約の失敗を書きます。
人件費の値上げは、原材料の半分も通っていない
先に数字です。公正取引委員会の特別調査によると、コストの上昇分を取引価格に転嫁できた割合の中央値は、原材料価格が80.0%、エネルギーコストが50.0%だったのに対し、労務費、つまり人件費は30.0%でした(内閣官房・公正取引委員会「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針について」P.1)。
この資料には、受注側の声も載っています。「労務費の上昇分は受注者の生産性向上で吸収すべきという意識が発注者に根強くある」「交渉の過程で発注者から詳細な説明・資料の提出が求められる」「今後の取引関係に悪影響が及ぶおそれがある」。言い出せない理由は、社長の性格ではなく、構造の問題です。
ただし、2023年11月にこの指針が出てから、状況は変わりました。指針は、発注者に対して「1年に1回や半年に1回など定期的に労務費の転嫁について発注者から協議の場を設けること」「協議することなく長年価格を据え置くことは、独占禁止法上の優越的地位の濫用又は下請代金法上の買いたたきとして問題となるおそれがある」と書いています。値上げの話をテーブルに乗せること自体は、今は受注側の正当な行動です。
相手の会社にも「やるべきこと」が決まっている
この指針の面白いところは、受注側だけでなく、発注側の行動も12項目で書いてあることです。たとえば、経営トップが労務費の転嫁を受け入れる方針を決めて社内外に示すこと。受注者から求められなくても、定期的に協議の場を設けること。説明や資料を求める場合は「公表資料」で足りるとし、個社の内訳まで求めないこと。指針には、最低賃金や厚生労働省の統計で大まかな傾向が確認できれば、受注者の実際の労務費までは聞かずに要請額を受け入れる、という発注者の取組事例まで載っています。
つまり、値上げの文書を受け取る側の会社にも、「テーブルにつく」「詳細資料を求めすぎない」という行動が求められている。相手の担当者がこの指針を知らないこともありますが、そのときは文書の末尾に指針の名前を1行添えておくと、相手の社内で話が通りやすくなります。指針の6ページには「価格交渉の申込み様式(例)」も載っているので、書き方に迷うならそれを写すのが早いです。
理由を並べると、逆効果になる
値上げの文書でよく見るのは、理由の羅列です。原材料が上がった、燃料が上がった、人件費が上がった、円安で仕入れが上がった。全部本当だとしても、読む側には「言い訳が並んでいる」ように見えます。そして理由が多いほど、「そのうちのどれかは違うのでは」と一つずつ疑われる。
指針は、根拠にする資料について「最低賃金の上昇率、春季労使交渉の妥結額やその上昇率などの公表資料を用いること」と受注者側に求め、発注者側にも「説明・資料を求める場合は公表資料とすること」を求めています。つまり、自社の内訳を細かく出す必要はなく、公表されている数字を一つ示せば足りる。理由は一つか二つでいい、というのが指針の考え方でもあります。
伝える順番は「続ける前提」「変わる点」「変わらない点」
私が勧めている順番は、理由からではなく、次の3つの順で書くことです。
一つ目、今後も取引を続ける前提であること。値上げの文書を受け取った側が最初に思うのは「切られるのか」「切るべきか」です。最初の1行で「今後もお取引を継続させていただきたく」と書く。これは社交辞令ではなく、相手の最初の不安を先に消すための1行です。
二つ目、何がいつからいくら変わるか。品目、新しい単価、適用開始日。この3つを表にして、それ以外は書かない。根拠は、最低賃金の上昇率など公表資料を一つだけ添える。「諸般の事情により」は書かない。何が変わるのかが読めない文書は、相手の社内で説明できず、止まります。
三つ目、何が変わらないか。納期、品質、担当者、支払条件。値上げしても変わらないものを明記します。相手の担当者は、この文書を上司に説明しなければなりません。「単価は上がるが、それ以外は同じです」と言えるかどうかで、社内を通る速さが変わります。
この順番で書くと、A4で1枚に収まります。長い文書は、相手が読まないだけでなく、社内で回覧されません。
私の失敗:単価を1年見直せない契約にしてしまった
ここで、私自身の失敗を書きます。独立後、ある案件で、月の作業時間に上限を決めず、単価の見直しの時期も決めないまま契約を結びました。相手との関係は良く、細かい条件を出すのが野暮に思えたからです。
その結果、稼働が想定を大きく超えた月が続いても、単価を見直す機会が契約上なく、実質的に1年近く同じ単価で固定されました。超過分が無償になった話は「IT業者に「丸投げ」して失敗する会社の共通点3つ」にも書いたので繰り返しませんが、値上げの伝え方以前に、「見直す時期」を契約に書いていなかったことが原因でした。
指針が発注者に求めている「1年に1回や半年に1回の定期的な協議」は、裏を返せば、受注者側も「いつ見直すか」を最初に決めておくべきだ、ということです。契約書や注文書に「単価は毎年○月に見直す」「月○時間を超えた分は別途協議する」という1行があれば、値上げの話は「切り出す」ものではなく「予定どおり行う」ものになります。切り出す勇気は要らなくなる。
断られたときの次の一手
文書を出しても、断られることはあります。そのときの一手を、出す前に決めておきます。
一つは、金額ではなく時期で譲ることです。「4月からは難しい」と言われたら、「では7月から」と返す。単価を下げるより、開始を遅らせるほうが、こちらの損は小さく、相手の社内も通しやすい。もう一つは、範囲で譲ることです。全品目ではなく、人件費の比重が大きい品目だけ先に上げる。指針も、労務費の転嫁の要請時期について「受注者が価格交渉を申し出やすいタイミング」を活用することを勧めています。1回で全部通そうとしないことです。
そして、協議のテーブルにすらついてもらえない場合。指針には、受注者が匿名で情報提供できる窓口が公正取引委員会に設置されている、と書いてあります。使うかどうかは別として、「そういう窓口がある」と知っているだけで、交渉の姿勢は変わります。
出す前に確認する3つ
- 1行目が「続ける前提」で始まっているか。理由から始まっていないか
- 「何が・いつから・いくら」が表になっているか。根拠は公表資料が1つあるか
- 次の見直し時期が書いてあるか。書いていないなら、今回の文書で「次回は○年○月」と入れる
3つ目が一番大事です。今回の値上げが通っても通らなくても、次の見直しの時期を文書に入れておけば、来年は「切り出す」必要がなくなります。私はそれを契約に書かずに170時間を失いました。同じことをしないでください。
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